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加藤登紀子

■加藤登紀子(かとう ときこ)

□肩書き
 歌手 俳優

□本名
 藤本登紀子

□生年
 1943(昭和18)12.27(山羊座/O型)

□出身地
 京都府京都市→東京都世田谷区

□出身校
 京都市立上賀茂小学校
 世田谷区立桜木中学校 
   都立駒場高校
 東京大学文学部西洋史科

□略歴(満年齢)
 66年(23歳)「赤い風船」で日本レコード大賞新人賞。
 69年(26歳)「ひとり寝の子守唄」で日本レコード大賞歌唱賞。
 71年(28歳)「知床旅情」で日本レコード大賞歌唱賞。
 ※主な出演など:
  映画「居酒屋兆治」「紅の豚」「月のあかり」
  ドラマ「ワイン殺人事件25歳の夏」「家族善哉」
  テレビ「徹子の部屋」
  楽曲「この空を飛べたら」「愛のくらし」「百万本のバラ」

□趣味
 料理 読書 洋裁 書 陶芸 体操 農作業

□特技
 ギター

■加藤登紀子

□幼少時代〜
・父親は南満州鉄道の社員。
・兄と姉がいる。
・満州・ハルピンで生まれた。
 戦後1年間収容所で生活、2歳の時に日本に帰国。
 満州時代の事は全く覚えてない。
・習いごと…バレエ。童謡。
・家族全員音楽好きだった。
 父親は歌手を志していた。
・両親はふたりともバイタリティあふれる人間だった。
・小学校時代、京都・上賀茂(母親の故郷)の小さな家(6畳+4畳半)で家族4人が生活。
 母親が洋裁の仕立てで生活を支えた。
 夕食のおかずが豆腐だけという事があった。
・小学校時代、父親が事業に失敗して借金を負った。
 当時は両親がしょっちゅう夫婦喧嘩をしていた。
・小学校時代、甘えん坊で泣き虫だった。
・小学校時代、声が低くて唱歌にキーが合わなかったので音楽の授業が嫌いだった。
・中学時代、泣き虫・引っ込み思案・赤面症だった。
 授業中に発言するのが大の苦手だった。
・中1の時、父親が歌謡学院を設立。
・中1の時、東京都世田谷区に一軒家に転居。
・高校時代、アナウンス部。
・高2の時、兄の影響で学生運動に関わりはじめた。
 60年安保のデモに参加。
・中学と高校を総代で卒業。
・父親と教師に反対されたので東京大学を受験した。
・大学時代、東大演劇研究会。活動内容になじめなくて途中退部。
・大学時代、女子ボート部。
・大学の卒業式をボイコットしてデモに参加。

■加藤登紀子

□私生活
・好物…納豆。ロシアンティー。しおサイダー。
・得意料理…味噌汁。
・健康食品、自然食品に興味関心がある。
・健康法…サウナ。体操。ダンベル。トランポリン。エルゴメーター。
・乳がんで左乳房の一部を摘出する手術を受けた(=91年)。
・二槽式洗濯機を愛用(=13.09現在)。
・好きな作家…太宰治。中原中也。
・iphone5とiPad miniを愛用。
・気になった新聞記事をテーマ毎にスクラップ(15年以上続けている=18.05現在)。
・毎日日記を書く。
 貰った名刺をノートを貼って整理する。
・昔の洋服をリメイクするのがストレス解消法。
・東京都渋谷区代々木在住。
 64年から同じマンションに住み続け得ている。
 同じマンションの10階と11階に事務所・仕事場・自分の部屋がある。
 三女と同居中。※99.09現在・千葉県鴨川に別荘がある(=23.09現在)。
 鴨川自然王国を含む土地は9000坪。
 事務所を兼ねた建物と自ら設計した3LDKの家とツリーハウスがある。
   フィランド製のサウナがある。
 古民家を改築した和室に囲炉裏を設置する予定。
・別荘のバルコニーで鳥のさえずりを聞くのが好き。
・別荘で農作業、陶芸(焼き物小屋、専用釜がある)、執筆、曲作りをする。
   米、約50種類の野菜(タマネギ、ほうれんそうなど)を栽培。
 大豆畑が野生の猿に荒らされた。
 少し山を登ると東京湾と富士山が見える。
 ※鴨川自然王国…夫が生前に作った農園(91年開園)、夫の他界後加藤が管理
・馬が好き。ムツゴロウ王国に滞在して乗馬を習った。
・ボートレースに出場した事がある。
・蜂に刺された事がある。
・よくモノをなくしてしまう。
 よくタクシーに忘れ物をする(ブラジャーを忘れた事がある)。
 自分で気付かないうちにどこかに忘れてきたクレジットカードを悪用された事がある。
・L.A.からニューヨークに行く筈が飛行機を間違えてワシントンに行ってしまった事がある。
・パリでスリにあった事がある。
・南アフリカ(国)が好き。コンサート、レコーディングをした事がある。
・33歳の頃、中南米を40日間ひとり旅。
 自分から人の輪の中に入って道端に座って歌った。
・巻紙に毛筆で手紙を書く。
・父親は歌謡学院経営→ロシア料理店「スンガリー」経営。
・母親は101歳で他界(=17年)。
・娘が沖縄に住んでいる(=08.04現在)。
・惚れっぽい性格。
・夫の実家が阪神大震災で全壊。

■加藤登紀子

□人間関係
・佐藤信…演出家。加藤のステージを多数演出。高校の同級生。
 高校時代に一緒にデモに参加。
・田中裕…プロデューサー。
・長谷川きよし…デュエット曲「灰色の瞳」をリリース(=74年)。
・艾敬(アイ・ジン、中国の歌手)…中国ツアーで意気投合して互いの持ち歌を交換。
・姉…バイオリニスト。
・藤本俊夫…作家。元全学連委員長。72年5月結婚。獄中結婚、さずかり婚。
 ※02年に肺ガンによる肺炎で他界(享年58)
・子供:
 長女…美亜子。72年12月誕生。 
 次女…八恵。75年12月誕生。Yaeのアーティスト名で歌手デビュー(=01年)。
 三女…美穂。80年誕生。
  ※孫が7人いる(=18.04現在)

■加藤登紀子

□エピソードなど
・第1回日本アマチュアシャンソンコンクールで4位。
 4位が悔しくて本格的に歌の勉強を始めて65年の第2回大会で優勝した。
・「誰も誰も知らない」で歌手デビュー(=66年)。
・「赤い風船」で日本レコード大賞新人賞(=66年)。
・「ひとり寝の子守唄」で日本レコード大賞歌唱賞(=69年)。
・歌手デビュー後数年間の衣装は母親の手作りだった。
・デビュー当時、地方営業でアカペラで童謡を歌った。
 当時はシャンソンっぽい曲は全然受けなかった。
・「ひとり寝の子守唄」は当時獄中にいた藤本を想って作った曲。
 <過激派の歌>とみなされて放送禁止だったが口伝えで若者の間に広まってヒット。
 キャバレーで歌うと「いい歌を作ってくれてありがとう」とヤクザに言われた。
・フランス政府から芸術文化勲シュバリエを受章。
 パリのラ・シガール劇場でのコンサートを評価された。
・世界各国でコンサートを開催。
 エジプト、ブラジル、東欧、インド、中国、モンゴル、
 フィリピン、カンボジア、ベトナム、など。
・毎年年末にステージでお酒を飲みながら歌う「ほろ酔いコンサート」を開催。
・コンサートではしばしばオーケストラをつけて歌う。
・ニューヨークのカーネギーホールで日本人女性歌手として初コンサート(=88年)。
・韓国で戦後初めて日本語で歌った。
・天安門事件をモチーフに全曲フランス語のアルバムをリリース。
・アニメ映画「紅の豚」声優(=92年)。
 クラブで歌うシーンは加藤が実際に歌った実写映像を元にアニメが描かれた。
 テスト版のつもりでリラックスして歌ったバージョンがそのまま採用された。
・搭乗していた全日空機がハイジャックされた(=95年)。
 顔面にガムテープを貼られた。不時着後に機内に16時間足止めされた。
 トイレから携帯電話でマネージャーに連絡を取った。
・世界自然保護基金日本委員会の評議員に就任(=97年)。
・ドラマ「北の国から'98時代」のBGMに「百万本のバラ」が使われた。
・夫・藤本敏夫、二女で歌手の藤本八恵と一緒にトーク&ライブ(=99年)。
・「加藤登紀子の男模様」を出版(=99年)。
・国連環境計画の親善大使に就任(=00年)。
・沖縄の曲をアレンジし集めたアルバム「沖縄情歌」をリリース(=03年)。
 沖縄の歌は若い頃から歌い続けている。
・「素顔が一番」で千葉県鴨川の別宅を紹介(=03年6月28日放送分)。
・長浜バイオ大(滋賀県長浜市)の校歌を作詞作曲(=04年)。
・ライブの仕事が大好き。年間40〜50本開催。
・副業…ロシア料理店「スンガリー」(新宿、両親から引き継いだ=07.09現在)。
・別荘を「火曜サプライズ」で公開(=17年4月18日放送分)
・主な著書:
 「ほろ酔い行進曲」(講談社)
 「日本語の響きで歌いたい」(NHKブックス)
 「わんから」(中央法規酒出版)
 自伝「青い月のバラード」(小学館)


主要参考媒体
AERA 99年6月20日号
週刊文春 99年9月23日号

加藤登紀子 1943.12.27 歌手
加藤登紀子 1943.12.27 京都府京都市
加藤登紀子 1943.12.27 東京大学文学部西洋史科
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