■丹波哲郎(たんば てつろう)
□肩書き
俳優 心霊研究家
□本名
丹波正三郎
□愛称
ボス
□生年
1922(大正11)07.17(蟹座/O型)
□没年
2006(平成18)09.24(享年84)肺炎
□出身地
東京都
□出身校
中央大学法学部
□略歴
63年(41歳)ドラマ「三匹の侍」主演。
75年(53歳)ドラマ「Gメン75」主演。
89年(67歳)映画「丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる」製作・脚本・主演。
※他の主な出演:
舞台 「シベリア超特急4」
映画 「007は二度死ぬ」「砂の器」「魔界転生」
ドラマ「春日局」「白い巨塔」「水戸黄門」
テレビ「クイズなっとく歴史館」「丹波・山瀬のパニックTV」
CM 「麒麟麦酒 ビアシャトル」「味の素 冷凍うどん」
□趣味
麻雀 ゴルフ
□特技
剣道6段 空手6段 英語 ドイツ語
□資格
大型自動二輪免許
■丹波哲郎
□幼少時代〜
・父親は陸軍薬務官→日本画家。
・丹波家は薬師として名門の家柄。
祖父は梅毒の特効薬を作った薬学博士、東京帝国大学名誉教授。
・祖父は帝国大学(東京大学)の1期生。
父親、親戚のほとんどが東京大学出身。
・4人きょうだいの末っ子(兄2人、姉)。
・家は超裕福だった。
新宿に20万坪の土地を持っていた。
家に裏庭、外庭、中庭があった(中庭は野球場が3面取れる広さだった)。
・5歳の時、家の障子に火を付けた。
・子供の頃、近所の駄菓子屋やおもちゃ屋で自由に欲しいものを買えた。
店のノートに記入すると後で店がお金を家に取りにきた。
後ろをゾロゾロついて来る近所の子供にもお菓子やおもちゃを買ってあげていた。
・子供の頃、お医者さんごっこをよくした(自分は先生、女の子は全員患者)。
・子供の頃、父親から空手や手裏剣の手ほどきを受けた。
・総長の林頼三郎(親戚)に頼んで無試験で中央大学に入学。
・大学時代、ESS(英語研究会)。
・大学2年の時、航空隊に所属して大平洋戦争に学徒出陣。
戦闘機に乗ってB29と戦った。特攻隊員になる可能性があった。
生意気だったので連日上官に殴られたらしい。
■丹波哲郎
□私生活
・好物…そば。柳川鍋。おでん。鶏の唐揚げ。ぶりの照焼。
山芋のせんぎり。スイカ。ぶどう(匂いが好き)。
・嫌いな食べ物…ネギ。ピーマン。
・83歳で大病をしてからそれまで弱かった酒が強くなった。
・葉巻を愛飲。
・健康法…普通の5倍の重さの木刀を片手で持って素振り。
水中ウォーキング。
・インフルエンザと肺炎で2ヵ月入院(=05年)。
入院中に意識不明で危篤状態になって臨死体験。
・人差し指1本で角材を割る事ができる。
・好きな宝石はオパール。
・ひとりで霊界の本を読むのが何よりの幸せ。
服や時計などの持ち物に全然こだわらない。
普段着はパジャマ。
・ペット…犬(名前はポーとゴン)。
・犬の愛好会の会長。
・住んでいる所…東京都杉並区(土地約300坪=02.04現在)。
・長男夫妻、3人の孫と同居していた。
・いきつけ…
ラーメン屋「鶴八」(文京区)。
そば屋「本むら庵」(杉並区上荻)。
ロシア料理「マノス」(台東区雷門)。
中華料理「虎(ふう)」(江東区深川)。
・ゴルフ場にヘリコプターで行く。
・海外に行ってもホテルに閉じこもって霊界の本を読む。
・カラオケが苦手。歌えるのは木曽節だけ。
・麻雀が大好き。
自宅に決まったメンバーを呼んで打つ。
自宅に雀卓が6卓あった。
・モノをねだられるとついあげてしまう。
・孫に「グッパ」と呼ばせていた。
・若い頃はよく女遊びをした。
祖父の影響で子供の頃から性病の知識があった。
・妻がが亡くなる前の晩に過去の女遊びの事を枕元で謝った。
■丹波哲郎
□人間関係
・原田大二郎…友人。丹波の自宅に遊びに来ると必ず何かモノを持っていく。
・泉ピン子…友人。
・高島忠夫…新東宝の同期生。
・岩下志麻…若い頃は霊感が強かった。
「弟子にならないか」と岩下をスカウトした事がある。
・井森美幸…井森の前世は丹波の祖母らしい。
・イッセー尾形…イッセーが唯一モノマネができる有名人は丹波哲郎。
・渡部篤郎…18歳の頃に丹波主宰の俳優養成学校に入学するが、
遊ぶのに忙しくて数回しか行かなかった。
・原田君事…俳優。丹波の付き人を長く務めた。
・鈴木敏夫…丹波のファン。
・貞子…49年結婚。※97年に腎不全で他界
58年に急性灰白髄炎(ポリオ)を発症、下半身が不自由になって車椅子生活。
・子供:
長男…丹波義隆。55.07.13誕生。俳優。
■丹波哲郎
□エピソードなど
・終戦後、GHQ司令部に通訳として採用されたが、
実は英語は話せなかったのでハワイの日系2世に通訳をやらせて地下室で博打三昧。
英語で何か聞かれそうになると逃げまわった。
・GHQ司令部を辞めた後、自動車修理会社や油糧砂糖配給公団などを転々。
10:30頃出社して16:00には帰っていた(仕事はほとんどしなかった)
・「俳優が向いているんじゃないか」と言われてサラリーマンをやめて国際演技研究所に入所。
その後、創芸小劇場、劇団文化座を経て新東宝に入った。
・「第七の暁」「007は二度死ぬ」など外国映画に多数出演。
当時は「日本で英語を話せる俳優は丹波哲郎だけ」と誤解されていたらしい。
外国で「東洋のプリンス」と呼ばれていた。
・ハードボイルド調の悪役・敵役を多数演じた。
・セリフ覚えが苦手。
現場でよくカンペを使った。
台本は自分のパートしか読まなかった(会話する相手が敵か味方だけは確かめた)。
・時代劇の舞台で「OK!」と言ってしまった事がある。
・自分から売り込んだことは一度もない。1〜2年仕事がなかった事があった。
・俳優養成所「丹波道場」を主宰。
・30年余りにわたって霊界を研究、自称「霊界の宣伝マン」。
自宅の2階に「未来科学研究所」を作った(自分が所長)。
・享楽主義だった友人がガンを宣告されて死を恐れて泣いているのを見て、
「俺は明るく堂々と死んでやる」と思って霊界研究のはじめた。
・霊界に関する本は1000冊以上読破。1冊平均10回は読む。自らの著書は50冊以上。
・自分自身の霊的体験は2回:
くさった饅頭を食べて赤痢で死にかけた時に病院のベッドから体が浮き上がった(幽体離脱)
ロンドンのホテルで夜中に目を覚ますと部屋に娘2人と西洋人がいた(すぐ消えた)。
・現世で一番いけないのは「やきもちを焼くこと」。
・映画「地上より大霊界」「大霊界」「大霊界2」を製作。
・映画「クレヨンしんちゃん 爆発! わくわく大決戦」声優(=99年)。
・映画「猫の恩返し」声優(=02年)。
丹波哲郎 1922.07.17 – 2006.09.24(享年84)俳優
丹波哲郎 1922.07.17 – 2006.09.24(享年84)砂の器
丹波哲郎 1922.07.17 – 2006.09.24(享年84)中央大学
丹波哲郎 1922.07.17 – 2006.09.24(享年84)新東宝
丹波哲郎 1922.07.17 – 2006.09.24(享年84)男性芸能人(1970年代)Gメン’75
丹波哲郎 1922.07.17 – 2006.09.24(享年84)男性芸能人(1960年代)三匹の侍 007