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ヨネスケ

■ヨネスケ

□肩書き
 落語家

□本名
 小野五六(おの ごろう)

□別名(高座名)
 桂米助

□生年
 1948(昭和23)04.15(牡羊座/O型)

□出身地
 千葉県市原市

□出身校
 姉崎中学校
 千葉県立市原高校八幡分校

□略歴(満年齢)
 67年(19歳)桂米丸に弟子入り。
 81年(33歳)真打ち昇進。
 85年(37歳)テレビ「ルックルックこんにちは」出演(突撃!隣の晩ごはん)。
 ※他の主な出演:
  映画 「スーパーの女」「釣りバカ日誌17」
  ドラマ「お帰りなさい 娘の婿には誰がいい?」
  テレビ「笑点」「日曜招待席」「ラジかるッ」
  CM 「サントリー BOSS贅沢微糖」「サントリー 伊右衛門」

□趣味
 野球観戦 相撲観戦 テニス アメリカンフットボール

■ヨネスケ

□幼少時代〜
・4人兄弟の末っ子。姉が2人、兄が1人いる。姉2人は種違い。
 母親は一度も籍を入れずに2人の男性の子供を2人づつ産んだ。
・父親が56歳の時の子供だったので「五六」と名付けられた。
・愛人の子供として産まれて母子家庭で育った。
・母親は畑仕事、漁業、魚や野菜の行商など朝から晩まで働いていた。
・家のすぐそばに海と山がある田舎で育った。
 海でハゼ釣りや魚介類採り、砂浜で野球、山で昆虫採集をした。
 海で採った貝をズボンのボケットに入れて持ち帰り晩ご飯のおかずにした。
 昆虫採集をするとたちまち畳一畳分ぐらいの数の虫が採れた。
・子供の頃、23歳年上の長女(小児マヒでいつも家にいた)が親がわりだった。
 長女から読み書きそろばんを教わった。厳しく躾られた。
・子供の頃、大人と話すのが苦手だった。
・家族全員の布団上げ、廊下と庭の掃除、神棚に水をあげる、など家の手伝いをたくさんした。
・家は裕福ではなかった。野球道具を買って貰えなかった。
・小学校時代、クラスの人気者だった。いつもみんなを笑わせていた。
 修学旅行のバスでマイクを握って離さずに「アキラのズンドコ節」などを歌い、
 夜は旅館で国定忠治のモノマネをした。
・小学校時代、ラジオで落語を聞いて将来落語家を志した。
 卒業文集に「大きくなったら金五六のようになる」と書いた(柳家金語楼をもじった)。
・高校入学の際に戸籍謄本を見て自分が私生児だと知った。
 父親は病死したと聞かされていた。父親とは一度も会った事がない(写真を見た事もない)。
・高校時代、野球部のマネージャー。
・高校時代、彼女がいた。
・高校時代、立川談志「現代落語論」を落語のバイブルとして愛読。
・高3の時、進路相談で落語家になると宣言。

■ヨネスケ

□私生活
・好物…ちゃんこ鍋。アサリの刺し連(お袋の味)。和食。
・嫌いな食べ物…カキフライ。セロリ。
・食べ物は旬を大切にする。
・60歳を過ぎてから再び肉をたくさん食べるようになった。
・酒が大好き。
 飲み出すと朝まで飲む(先に帰ると悪口を言われるような気がする)。
 酔って地下鉄に乗って目を覚ますと地下鉄の車庫に入っていた事がある。
 翌日「どうしてあんな事を言ってしまったんだろう」と自己嫌悪になる事がよくある。
・左利き。
 落語家修行の時に右手を使う練習うぃしたので右手で箸を持つ事もできる。
・若い時はレントゲンに映らない程の胃下垂でガリガリに痩せていた。
・泳げない(=05.05現在)。
・好きな歌手…西郷輝彦。橋幸夫。舟木一夫。
・歴史モノのテレビ番組が好き。
・トイレに入っている時が一番落ち着く。
・自然の囲まれた郊外に住んでいる(=24.09現在)。
 近所の人がよく野菜をくれる。
・住んでいた所…東京都新宿区。千葉県市川大野。
・仕事部屋(1Kのマンション)が新宿区河田町にある(=00.09現在)。
・離婚後に1Kの部屋でひとり暮らしをしていた。・いきつけ…
 焼き鳥屋「田むら」(新宿、20年以上通っている)。
 天丼専門店「まさる」(浅草)。
・惣菜屋でよくおかずを買う。
・野球が大好き。巨人ファン。
 野球の知識はプロ野球中継、メジャーリーグ中継で解説ができるレベル。
 日本人選手が活躍する前から毎年自費でアメリカでメジャーリーグを観戦。
 野茂英雄が初完封した試合を浴衣姿で観戦して球場のオーロラビジョンに映った。
 マーティー・キーナートが所有するマイナー球団で浴衣姿で始球式をやった事がある。
 社会人野球、大学野球、高校野球も観戦する。
 メジャーリーグの球場全制覇を目指している(残り5球団=15.12現在)。
 ※トークライブ「ヨネスケの単なる野球好き」を開催(=97年) 
・スナックでインテリ風のサラリーマンに死刑廃止論について意見を求められたので
 「自分のカミさんや子供が殺されたらオレはそいつを殺るよ」と言うと、
 延々としつこく「罪を憎んで人を憎まず」と死刑廃止論をぶってきて酒がまずくなったので、
 一発殴って「罪を憎んで人を憎まずなんだからオレを憎むなよ」と言った事がある。
・子供は父親がヨネスケだという事を周囲に隠しているらしい(=ネタか?)。
・20歳年下のパートナーがいる(=24.09現在)。

■ヨネスケ

□人間関係
・笑福亭鶴瓶…友人。飲み友達。
・なぎら健壱…友人。ヨネスケがいない時にヨネスケの自宅に遊びに来た事がある。
・松岡昌宏…友人。「ヨネじい」と呼ばれる。
・三遊亭小遊三、三遊亭夢之助、柳亭痴楽…友人。若い頃からの仲。
 よくヨネスケのアパートや痴楽のバイト先の一膳飯屋に集まって遊んだ。
 寄席の後で毎回三遊亭小遊三が自宅までクルマで送ってくれる。
・イチロー…友人。メル友。大好きな野球選手。
・イッセー尾形…友人。
・月亭八方…共著「過激に巨人阪神戦」を出版。
・根本はるみ…中学校の後輩。
・高橋由伸…好きな野球選手。大学時代から応援。
・桂デッドボール…弟子。
・桂歌丸…兄弟子。
・桂米丸…師匠。高校卒業後すぐに知人の紹介で弟子入りした。
 4年間の内弟子時代、師匠の家の向かいの3畳のアパートに住んで一度も実家に帰らなかった。
 母親からの毎月の仕送りを師匠の奥さんがこっそり貯金してくれていた
 (二つ目に昇進して独立する時に通帳と印鑑をくれたが1ヵ月で遊んで使ってしまった)。
 70歳を過ぎても師匠からダメだしされる。
・妻…76年結婚、15年離婚。
 千葉のデパートの営業で知り合って手紙や交換日記などで交際(知り合った当時は高校生)。
 離婚前から家庭内別居だった。
・子供:
 長男…80年誕生。
 次男…高3(=01.09現在)。
 長女…16才(=01.09現在)。

■ヨネスケ

□エピソードなど
・内弟子時代、酒・タバコは禁止だったが、隠れてタバコを吸っていた。
・早く一人前になりたかったのでどんな仕事でも引き受けた。
 お尻に生け花を飾って町内を歩き回るという仕事も受けた。
・放送演芸大賞ホープ賞を受賞(=82年)。
・落語をやる時は「桂米助」の名前を使う。
・スポーツを題材にした新作落語が得意。
・長野五輪聖火ランナーを務めた(=98年)。
・落語芸術協会理事。
・YouTubeチャンネル「突撃!ヨネスケちゃんねる【落語と晩ごはん】」(20年開設)。
・映画「突撃! 隣のUFO」主演(=23年)。
・著書…
 「新・相撲のススメ」
 「ごはん」(講談社、リポーター体験を綴った=01年)

■ヨネスケ

□「突撃!隣の晩ごはん」のエピソード
・ワイドショー「ルックルックこんにちは」のコーナー企画として85年にスタート。
 01年に一旦終了。03年秋からワイドショー「情報ツウ」のコーナー企画として復活。
・断られた家を含めると約6000軒の一般家庭を訪問。
 47都道府県を制覇して海外も行った。
・1回目の収録時は事前の打ち合わせがあり、
 老夫婦の家を訪ねると三つ指ついて迎えられ、食卓にステーキや天ぷらが並んでいて、
 「お年寄りがこんな豪勢なものをたくさん食べるのは不自然」とお蔵入り。
 放送まで時間がなかったのでそのままアポなしで訪問。
・当初は取材拒否続出、特に高級住宅地や新興住宅地はNG率が高かった。
 田園調布で連続36軒断られて警察に通報された。
・最初の一軒がOKになるとその後はそこから紹介して貰う。
・トレードマークの大きなしゃもじは最初は木製だったが、
 重くて大変なので発泡スチロールで作り直した。
・近所に面白い奥さんはいませんか? と酒屋やクリーニング店でスタッフが聞き込みをして、
 ある程度アタリをつけてから突撃する。
・突撃した家の住人がヤクザだったが食事をすすめられて断り切れずに食べた(お蔵入り)。
・口にあわない料理の時は「なかなか」とコメントした。
・自分の家に突撃した時、妻が嫌がって鍵を開けてくれなかったので、
 自分が持っていた鍵を使って入ると、メニューは前日の余り物のけんちんうどんだけだった。
・根は人見知りでシャイなので突撃直前は毎回プレッシャーを感じていた。
・メニューのベスト3は1位カレーライス、2位ハンバーグ、3位刺身。

主要参考媒体
テレビタレント人名事典」(日外アソシエーツ、第5版)
アサヒ芸能 97年8月7日号
女性セブン 00年8月2日号
週刊文春 01年9月13日号
FLASH 19年1月22日号

ヨネスケ 1948.04.15 落語家
ヨネスケ 1948.04.15 男性芸能人(1980年代)突撃!隣の晩ごはん

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