スポンサーリンク

パトリック・ハーラン

■パトリック・ハーラン

□肩書き
 芸人 タレント 俳優 

□所属コンビ
 パックンマックン

□本名
 Patrick Raymond Harlan

□通称
 パックン

□生年
 1970(昭和45)11.14(蠍座/O型)

□出身地
 アメリカ コロラド州 コロラドスプリングス

□出身校
 マウンテンビュー小学校
 エアアカデミー中学校
 ランバート高校 
 ハーバード大学比較宗教学部卒業

□略歴(満年齢)
 97年(27歳)パックンマックン結成。
 03年(33歳)テレビ「英語でしゃべらナイト」出演。
 10年(40歳)大河ドラマ「龍馬伝」出演。
 ※他の主な出演:
  映画 「ブリスター!」「リターナー」「ダーリンは外国人」
  ドラマ「私は貝になりたい」「蝶々さん」「太陽の罠」
  テレビ「ボキャブラ天国」「爆笑オンエアバトル」「おもいッきりイイ!!テレビ」
  ラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」「吉田照美 飛べ!サルバドール」
  CM  「久光製薬 のびのびサロンシップ」「日清食品 極盛りやきそば」

□趣味
 相撲観戦 自転車 バイク

□特技
 バレーボール 卓球 床体操 板飛込み

□資格・免許
 日本語検定1級

□サイズ
 183㎝ 靴のサイズ27.5㎝

■パトリック・ハーラン

□幼少時代〜
・父親はアメリカ空軍士官。
 コロラドスプリングの空軍アカデミーで英文学と演劇を教えていた。
・祖父はアメリカ空軍勤務。第2次世界大戦をヨーロッパで戦った。
・姉がいる。
・父親は冷静沈着なタイプ、
 母親は感情的で表現がオーバーなタイプだった。
・標高1800mにある町に住んでいた。
・子供の頃、食べ物の好き嫌いが激しかった。
 主にツナ缶とクラッカーを食べていた。
 野菜、マヨネーズ、ケチャップが嫌いだった。 
・子供の頃、好奇心旺盛で目立ちたがり屋だった。
 クラスの中で目立っていた。
・子供の頃、父親が担当したミュージカルに子役として出演。
・7歳の時、両親が離婚して母親にひきとられた。
 離婚後は生活が厳しかった(1日の食費は3ドルだった)。
 牛乳は高かったので脱脂粉乳を飲んでいた。
 食糧切手で買物するのが恥ずかしかった(生活保護を受けていた)。
・小5から高校卒業まで新聞配達のアルバイトをした。
 16歳で免許を取るまでは自転車で配達、
 家と家の間の距離が遠いので太ももの筋肉が鍛えられた。
・小学校時代、自宅に下宿していた中国系アメリカ人のポール・チェンさんを慕っていた。
・小学校〜中学時代、成績優秀・スポーツ万能だった。
 地域の優秀な生徒だけが集まるクラスに選ばれた。
・高校時代、放課後を有意義に使う為に授業中に宿題を済ませた。
・高校時代、多数のクラブに参加。
 スペイン語、合唱団、ジャズバンド、劇団、
 陸上、体操、バレーボール、板飛び込み、など。
 アルバイトとクラブ活動で多忙だったので宿題は授業中か休み時間に済ませた。
・高校時代、夜はアルバイトをしていた。
・高校時代、人と違った事をして目立つ為に下着で登校した。
・高校を首席で卒業、卒業式で生徒代表でスピーチをした。
・高校〜大学時代、中古のマツダ・ファミリアに乗っていた。
・理科系で大学に入学したが実験に時間を取られるのが嫌だったので比較宗教学に専攻を変更。
・大学時代、合唱団(グリークラブ)の部長。
・大学時代、様々なアルバイトをした。
 トラック運転、バーテンダー、家庭教師、パーティーの裏方、など。
・学生時代、女の子にモテモテだった。

■パトリック・ハーラン

□私生活
・好物…寿司(特にしめ鯖が好き、回転寿司によく行く)。
 シーチキン卵かけご飯。ロブスター。ガム。和食。
・得意料理…ハンバーガー。
・酒が好き。好きな酒はビール。
・持病…腰痛。
・太ると食べる量を極端に減らしてダイエットして、
 体重が落ちるとご褒美としてたくさん食べて太る、を繰り返す。
・子供の頃は金髪だった髪の毛がたんだん黒くなってきた。
・子供の頃から絵本が好き。
・自宅にホームシアターがある。
・何かを勉強するのが大好き。
・科学に興味関心がある。読む本の8割はサイエンス系。
 ネットでサイエンスニュースを毎日チェック。
・日本人の名前を覚えるのが苦手。
・貧乏性。無駄使いが嫌い。
 他人が残したビールを飲むのが好き。
 貰い物を多数愛用。
 靴下は穴が空くまではく。
・好きなブランド…GAP。
・ペット…猫(=05.01現在)。
・自宅のリビングから新宿の高層ビル、富士山が見える(=05.01現在)。
・四季がある日本の気候が好き。一番好きな季節は秋。
・ボストン・レッドソックスのファン。
・大型バイクに乗っている(スズキ・Bandit1200=10.02現在)。
・母親は45歳で入学した大学院を首席で修了。
・毎年行った事がない国に家族旅行に行く。
・子供をバイリンガルに育てようとしている。
 自分は英語、妻は日本語で話しかける。
・4人家族全員が新型コロナウイルスに感染(=21年)。

■パトリック・ハーラン

□人間関係
・厚切りジェイソン、ボビー・オロゴン、ホラン千秋…友人。
・マックン…パックンマックンの相方。
 ふたりでプライベートでタイに旅行に行ってゴキブリやカブトムシの幼虫を食べた。
 お互いの家族を含めて一緒に遊ぶ。
・琴別府要平…好きな大相撲力士。
・マット・デイモン…ハーバード大学の同期生。
・芽衣…?年結婚。日本人。
 パックンマックンの路上ライブを見ていたお客さんだった。
 自分から声をかけてライブの感想を訊いて仲良くなった。
・子供:
 長男…ライジェル。13歳(=21.02現在)。
 長女…アリスタ。11歳(=21.02現在)。

■パトリック・ハーラン

□エピソードなど
・93年に大学の合唱団の海外ツアーで初来日した時にそのまま日本に残り、
 友人宅に居候して日本で就職活動、福井市の英会話学校講師の職を得た。
・来日後数年間、友人がいた福井県に住んでいた。
・来日するまでにひらがなとカタカナの読み方を覚えていた。
・来日当初の3ヵ月間、住んでいた家の和式トイレの使い方が判らず、
 便器に洋式の向きに座って用を足していた。
・自己流の勉強で約2年間で日本語をマスターした。
・来日当初は俳優志望だった。
・英会話講師時代、殆ど英語を使わずに日本語で生徒と会話をしていた。
 外国人と話をしてみたいという生徒が殆どだった。
 給料を貰って自分が日本語を教えて貰っているような状態だった。
・福井時代、英会話講師のかたわら、劇団シベリア寒気団のメンバーとして活動。
・福井のラジオでDJをしていた時に知り合ったディレクターのアドバイスで
 東京で名を売ってハリウッドを目指す事にして96年に上京。
 モデル、俳優、声優、リポーター、DJ、通訳、翻訳と書いた名刺で売り込んだ。
・役者としての知名度をあげる手段としてパックンマックンを結成。
・日本のお笑いの「間」や「ツッコミ」を体得するのに時間がかかった。
・電車で移動(パスモを愛用)。
・遅刻が多い。
・仕事の集合場所を勘違いして違う場所に行ってしまった事が何度かある。
・ナレーションの仕事を多数やっている。
・一発ギャグ、リアクション芸が苦手なので「芸人」ではなく「コメディアン」と呼ばれたい。
・自宅を「情報ツウ」で公開(=05年1月13日放送分)。
・毋・ナンシーが「ロンドンハーツ」に出演(=05年5月10日放送分)。
・文・絵を担当した英語絵本「トゥースフェアリーの大冒険」を出版(=06年)。
・池上彰の紹介で東工大非常勤講師に就任(=12年)。
・ハーバード大学の入試面接官に就任(=18年)。
・パックンマックンとして年間約60本講演(=18年現在)。
・ふくいブランド大使。

主要参考媒体:
週刊現代 18年11月3日号

パトリック・ハーラン 1970.11.14 パックンマックン
パトリック・ハーラン 1970.11.14 外国人タレント
パトリック・ハーラン 1970.11.14 ハーバード大学比較宗教学部卒業

タイトルとURLをコピーしました