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田嶋陽子

■田嶋陽子(たじま ようこ)

□肩書き
 英文学者 政治家 シャンソン歌手

□本名
 田嶋陽子

□生年
 1941(昭和16)04.06(牡羊座/B型)

□出身地
 新潟県上越市→静岡県沼津市

□出身校
 沼津市立第一小学校
 沼津市立第一中学校
 静岡県立沼津西高校
 津田塾大学学芸学部英文学科 
 津田塾大学大学院文学研究科
 英文学専攻博士課程

□略歴(満年齢)
 76年(35歳)法政大学第一教養部教授に就任(→01年退任)。
 90年(49歳)テレビ「ビートたけしのTVタックル」出演。
 01年(60歳)参院選に社民党比例区から立候補して1位当選。
 ※他の主な出演:
  舞台 「千鳥が淵へ行きましたか」
  映画 「スーパーの女」「メトレス」 
  ドラマ「魚河岸のプリンセス」「京都の芸者弁護士5」「下流の宴」
  テレビ「笑っていいとも!」「踊る!さんま御殿!!」
  CM    「ニッセン」「ネスレ ニド」「ヴァージン・アトランティック航空」

□趣味
 書 ウォーキング テニス 

□特技
 英会話

■田嶋陽子

□幼少時代〜
・父親は造り酒屋勤務。
・7歳年下の弟がいる。
・戦時中に父親が召集された。
・戦時中、新潟県の母親の実家に疎開。
・終戦後、両親が静岡県沼津市に酒店を開業。※97年廃業
・母親の躾は厳しかった。
 よく物差しで叩かれた。
 「勉強しろ」「手に職を付けろ」「女らしくしろ」とよく言われた。
・小学校時代、身体が大きくて成績が良かったので、
 わざと1年遅れて入学したと疑われてイジメられた。
・小学校時代、弟の出産で脊髄カリエスを患った母親は長期間寝たきりだった。
 母親の回復祈願で3:00に起きて寒参りをした。
 母親を治す為に将来外科医になりたいと思っていた。
・中学時代、成績優秀でスポーツが得意だった。
・中学時代、作文、書道、絵で賞を貰った。
・中学時代、テニスの市大会で優勝。
・中3の時、好きな男の子への思いを綴った日記を親に見られて、
 父親に日記を焼かれ、強制的に女子校に進学させられた。
・高校時代、通学途中で男の子と接触しないようにと親に見張りを付けられた。
・高校時代、自作の小説が社会科の授業で教材に使われた。
・高校時代、親に「浪人するなら大学は行かせない」と言われて外科医の道を諦めた。
・高校時代、図書館にこもって社会主義文学や自然主義文学の本を耽読。
・大学受験の為に上京して乗った中央線の車内で人の多さに酔って吐いた。
・大学時代、寮生活(4人部屋→2人部屋)。
・大学時代、喫茶店のウェイトレス、市役所(封筒書き)、家庭教師のアルバイト。
・大学院時代、舞台女優を志して1年間劇団に在籍、舞台に出演。
・大学院時代、男性にとてもモテた。

■田嶋陽子

□私生活
・好物…そば。豆乳。
・前日に料理しておいて朝食に約20品目しっかり食べる。
・お米を捨てられない。余った弁当は持ち帰って食べる。
・野菜を使いやすい分量にカットして冷凍しておく。
・酒が好き。毎日飲む。
・健康法…玄米がゆ(毎朝)。ウォーキング。
・ノドが弱い。
・運動が大嫌い。
・歯医者が苦手。
・30年以上使っている台所用品がある。
・都内のシニアハウスに住んでいる(23年4月入居=24.01現在)。
   東京と軽井沢(山荘)の2拠点生活。
・住んでいた所…
 東京都新宿区四谷(1階がオフィス、2〜3階が自宅、約20年在住)。
 東京都立川市(34歳の時に建売の3LDK一戸建てを購入)。
・いきつけ…スペイン料理「るび〜な」(静岡県伊豆市)。
・何もせずにボーっとしていると病気になる。
・軽井沢で猪や熊に遭遇した事がある。
・海を見ていると死にたくなる。
・満月の夜に軽井沢の林で狼のように吠えるのがストレス解消法。
・猫が好き。街角で猫を見つけると猫語で話しかける。
・イギリス・ロンドンに2回留学(70年〜、75年〜)。
・仕事と恋愛を両立させるのが得意ではない。
・イギリス留学時代にベルギーの伯爵と交際。
 伯爵が住んでいたお城に遊びに行った。
・イギリス人染め物アーチストと約7年間遠距離恋愛していた。
 2度目のイギリス留学時代に知り合った。

■田嶋陽子

□人間関係
・檀ふみ…友人。ロンドンの田嶋の元彼の自宅に一緒に泊まった事がある。
・ビートたけし、阿川佐和子、舛添要一、大竹まこと
 …テレビ「TVタックル」で共演。
 舛添としばしば番組内で激しいバトル。
 ビートたけしの姉は軽井沢のウォーキング友達。
・やしきたかじん…テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」で共演。
・土井たか子…参議院議員選挙比例区に社民党から立候補した時の社民党党首。
・神近市子…女性運動家。尊敬している人。

■田嶋陽子 

□エピソードなど
・オペラ歌手、画家、小説家に憧れていた。
・イギリス・ロンドンに2回留学(70年〜、75年〜)。
・津田塾大学非常勤講師、東京女子大学非常勤講師、
 共立女子短期大学非常勤講師、法政大学第一教養部専任講師、
 東京工業大学非常勤講師を歴任。
・テレビ「英語会話」に英語講師として出演(=85年)。
・「いい男になる為の基礎講座」(花婿学校)を開講(=88年)。
・「島田陽子」と間違えて呼ばれる事がしょっちゅうある。
・講演で前の順番の人が延長すると腹が立つ(「自分の時間」を取られるのが大嫌い)。
・話が長い人に「結論から言って」と要求する。
・結婚制度に否定的見解を持っている。
・日本青年館主催「花婿学校」の講師を務める(=89年)。  
・「笑っていいとも!」に出演して尊敬する教授から破門された。
・CM「ニッセン」の「見てるだけ〜」の台詞が話題になった(=94年)。
・テレビ番組の企画で合宿免許で運転免許を取得(=98年)。
・書の個展を開催(=99年)。
・個を尊重しあえる仲間と共同生活をする場所づくりを目指す「友だち村」をプロデュース。
 静岡県の中伊豆町にコア施設「ライフハウス友だち村」が完成(田嶋の部屋もある=02年)。
 食堂で出す料理の食材は地元で採れた有機野菜。
・参院選立候補の際の公約…
 「税制や社会保障制度の個人単位化」
 「元慰安婦への補償と謝罪のための法案審議」
・毋・操が「ウチくる!?」に出演(=04年6月27日放送分)。
・初のコンサートを開催してシャンソンから美空ひばりまで11曲を歌った(=06年)。
・参議院議員を辞職して神奈川知事選に立候補(落選=03年)。
・四谷のライブハウス「蟻ん子」で毎月シャンソンを歌う。
・主な著書:
 「愛という名の支配」
 「だから、女は男をあてにしない」
 「それでも恋がしたいあなたへ 私の体験的恋愛論」


田嶋陽子 1941.04.06 静岡県沼津市
田嶋陽子 1941.04.06 津田塾大学大学院文学研究科
田嶋陽子 1941.04.06 1990年代総合

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