■松山千春(まつやま ちはる)
□肩書き
歌手
□本名
松山千春
□生年
1955(昭和30)12.16(射手座/O型)
□出身地
北海道足寄町
□出身校
道立足寄高校
□略歴
77年(22歳)「旅立ち」でデビュー。
78年(23歳)「季節の中で」がヒット。
81年(26歳)「長い夜」がヒット。
※他の主なシングル:
「恋」「窓」「君を忘れない」
※主な出演:
映画 「極道戦争 武闘派」
ドラマ「みにくいアヒルの子スペシャル」「新選組血風録」
□趣味
競馬 スポーツ観戦 プロ野球観戦 ゴルフ
□特技
バスケットボール
□サイズ
170㎝ 55㎏
■松山千春
□幼少時代〜
・父親は反体制のミニコミ誌「とかち新聞」を発行。
取材から印刷まで全行程をひとりでやっていた(ほとんど利益は出なかった)。※95年他界
・母親は家計の為に土方仕事をしていた。
現場が遠い時は数ヶ月泊まり込みになり、
その間身の廻りの事は全て父親がしてくれた。
・弟がいる。
・小学校時代、家はとても貧乏だった。
毎日同じ服を着ていた。学用品を買うお金にも事欠いていた。
その当時の好物は父親が良く作ってくれた鶏肉・卵・玉ねぎの炒め物。
・母親は博打が強かった。博打で生活費を稼いで来る事があった。
・小学校時代、近所の悪い仲間と一緒に万引きや鶏卵泥棒をした。
・小学校時代、家計を助ける為にさまざまなアルバイトをした。
新聞配達、卵売り、納豆売り、鉛筆売り、割り箸売りなど。
・中学時代、特に勉強をしなくても成績は良かった。
・中学時代、生徒会長。
・高校時代、弁論大会で優勝。
・中学〜高校時代、権威に屈しない熱血漢として生徒に人気があった。
納得できない時は相手が校長でも食ってかかった。
・学生時代、友人に貧しい自分の家を見られるのが嫌だった。
・高校時代、プロテストソングを歌う岡林信康に触発されてフォークを歌い始めた。
アルバイトで安いギターを買い、文化祭で自作の歌を披露して絶賛された。
・学生時代、バスケットボールをやっていた。
■松山千春
□私生活
・酒は飲まない。タバコが好き。
デビュー前に「酒、タバコ、女のどれかをやめろ」と言われて酒をやめた。
・持病…糖尿病。
・アキレス腱を切断(=88年)。
・自律神経失調症で半年間療養(=92年)。
・過労による内臓疾患で入院(=00年)。
・痛風を患った(=03年)。
・不安定狭心症を患って入院して2回手術を受けた(=08年)。
・50歳を過ぎてから花粉症になった。
・髪の毛が薄くなった時に美容師にそそのかされてパーマをかけたら余計に髪が痛んだ。
・お笑いが好き。
・政治に興味関心がある。
・靴が好き。
・収集…マイケル・ジョーダングッズ。
・住んでいる所…北海道足寄町(=02.03現在)。
・瓦屋根が好き。
瓦は零下25℃以下だと割れてしまうので北海道足寄の自宅の中に瓦屋根を架けた。
・搭乗した全日空機の出発が遅れによる乗客を鎮める為に機内で自身のヒット曲を熱唱(=17年)。
・足寄に残って農業をやっている友人を尊敬している。
・母親は99歳で他界(=21年1月)。
・弟は61歳で他界(=21年9月)。
・結婚後に何度か恋愛をした。
女性の所に入り浸って家に帰らなかった事がある。
■松山千春
□人間関係
・鈴木宗男…親友。足寄高校の先輩。選挙の時に鈴木を擁護。
鈴木が結成した新党を松山が「新党大地」と命名。
・さだまさし…友人。北海道の松山の実家に遊びに来た事がある。
お互いにテレビ番組で相手の悪口を言う。
・森進一…友人。自宅によく遊びに行く。
・おすぎ…友人。シングル「長い夜」のジャケットをデザイン。
2カラットのダイヤの指輪をおすぎにプレゼントした。
・角盈男…友人。角がプロ野球選手になった頃からのつきあい。
角は「人生の師匠」として松山を慕っている。
松山に紹介された女性と結婚した。披露宴で松山が歌ったテープを宝物にしている。
・権藤博…友人。権藤が横浜の監督になった時に巨人ファンから横浜ファンに鞍替えした。
・柳葉敏郎、山下大輔、尾崎将司、石毛宏典、落合博満、KONISHIKI、宮本和知、西川哲…友人。
・江川卓、郷ひろみ、中野浩一、元横綱千代の富士、中村勘三郎…「昭和30年会」のメンバー。
・明石家さんま、小田和正、加藤晴彦、笑福亭鶴瓶、中井貴一、南こうせつ、やしきたかじん、
・コージー富田、矢部浩之、横田真一…松山のモノマネがが得意。
・北島三郎…松山の「恋」がカラオケの十八番。
・三井浩二…プロ野球選手。足寄高校の後輩。
・田口禎則…元サッカー選手。田口が浦和市議選に出馬した時に選挙応援をした。
・吉田拓郎…デビュー当時から相性があわず天敵と言われている。
・阿部慎之助…松山の大ファン。
大学時代の同級生と定期的に開催する飲み会&カラオケ会を「千春会」と命名。
・レッド吉田、小池栄子…松山の大ファン。
・別所哲也、ほんこん、柳葉敏郎、渡辺裕之、甘利明…松山のファン。
・竹田健二…STVラジオのディレクター。育ての親。
「ずっと歌い続けるなら身体の為に何かをやめろ」と言われてデビューと同時に酒を辞めた。
・孝子…85年結婚。
・子供:
長女…月菜。高3(=04.01現在)。
■松山千春
□エピソードなど
・STVラジオのフォークコンテストで準優勝(=75年)。
・「季節の中で」はグリコのCMソングに採用された。
・79年発売の自伝「足寄より」を2年で70万部のベストセラー。
※加筆訂正したリニューアル版を上梓(=06年)
・20代の頃、テレビ番組出演を拒否していた。
・深夜番組「ハロー! ミッドナイト」の司会を務める(=84年)。
・深夜番組「ハロー! ミッドナイト」の司会で、問題発言を連発。
・映画「極道戦争・武闘派」に出演、日本アカデミー賞助演男優賞を受賞(=91年)。
・新選組初代隊長・芹沢鴨役を演じるのを条件にドラマ「新選組血風録」に出演(=98年)。
・日本シリーズ第1戦で国歌斉唱(=98年)。
・ジャイアント馬場の追悼歌を収録したアルバムをリリース(=99年)。
・チケット1枚17000円の高額ライブに応募が40万通来た(当選倍率100倍=99年)。
・歌手生活25周年を記念して自ら編集長を務める雑誌「月刊松山」を1年間発行(=01年)。
雑誌「月刊松山」11号は実売で100万部を突破。
・アメリカ同時テロに対するメッセージソング「宇宙のはるか」をリリース(=01年)。
・北海道の牛肉の安全をアピールする北海道牛肉大使に就任、
デパートの牛肉フェアで売り子を務めた(=01年)。
・アメリカ同時テロに対するメッセージソング「宇宙のはるか」をリリース(=01年)。
・社長を務める所属事務所「オフィス・ゲンキ」が東京国税局の税務調査を受け、
約6000万円の所得隠しを指摘された(修正申告に応じた=02年)。
・足寄町には至る所に松山の看板や似顔絵、駅に展示ホールがある。
松山の家の前には観光バスが止まるスペースと土産物屋がある。
・スキンヘッド、黒いサングラス、ゴールドのネックレスがトレードマーク。
・北海道の地方局のキャンペーンボーイを務めた。
・野球のクラブチーム「北海道マーリーンズ」のスーパーアドバイザーに就任(=06年)。
・毎年春と秋に必ずコンサートツアーを行う。
・コンサートは歌は10曲程度で残りは延々トーク。
・コンサート公演回数通算2000回を達成(=07年)。
※さだまさし、谷村新司、アルフィー、南こうせつに次ぐ現役5位
・ギター1本の弾き語り全国ツアーを開催(=18年)。
主要参考媒体
JJ 79年6月号
毎日グラフ 91年11月10日号
MINE 97年11月日号
松山千春 1955.12.16 歌手
松山千春 1955.12.16 北海道足寄町出身
松山千春 1955.12.16 1970年代総合
松山千春 1955.12.16 1980年代総合