■宇野昌磨(うの しょうま)
□肩書き
フィギュアスケート選手
□生年
1997(平成09)12.17(射手座/B型)
□出身地
愛知県名古屋市
□出身校
名古屋市立冨士中学校
中京大学附属中京高校
□略歴
18年(21歳)ピョンチャン五輪銀メダル。
22年(25歳)北京五輪銅メダル。世界選手権優勝。GPファイナル優勝。
23年(26歳)世界選手権連覇。
□趣味
マンガ アニメ ゲーム テニス
□サイズ
157㎝
■宇野昌磨
□幼少時代〜
・超低出生体重児として生まれた(900グラム)。
・祖父は洋画家の宇野藤雄。
・3歳年下の弟がいる。
・初めてリンクに立った3歳の頃にいきなり壁から離れて滑る事ができた。
・5歳の頃、スケート場で浅田真央に「スケートやりなよ!」と声をかけられた。
※リンクで撮影したツーショット写真現存(日刊スポーツ18年2月10日号)
・5歳の頃、本格的にスケートをはじめた。
・小5から2年間、フィギュアと平行してアイスホッケーをやっていた。
■宇野昌磨
□私生活
・好物…牛丼。しゃぶしゃぶ。ステーキ。肉(大好物)。
お菓子。
・嫌いな食べ物…野菜全般。
・食べる事にあまり関心がない。
食べないと動けなくなるので仕方なく食べる。
お弁当は米と肉だけでOK。
・空腹になると不機嫌になる。
・早起きが苦手。
・入浴が好き。
・髪型にこだわりがない(切ってくれる人におまかせする)。
寝ている間にパーマをかけられた事がある。
・RADWIMPSの曲が好き。演技前に聞く。
・ゲームが大好き。各種ゲーム機を所有。休日に9時間プレイ。
・好きなゲーム…「大乱闘スマッシュブラザーズ」「荒野行動」。
・ファッションに興味がない。親が買ってくれた服を着る。
・スイスの練習拠点を置いていた。
・絶叫マシンが好き。
・観光に興味がない。
海外遠征でホテルの部屋にこもってゲームをする。
・歩いている時によくつまづく。
・カバンの中身はごちゃごちゃ。
いつ入れたのか判らないペットボトルが入っている(たまに腐っている)。
・ネガティブな性格。
■宇野昌磨
□人間関係
・村上佳菜子…友人。子供の頃から同じコーチ、同じ練習場。
思春期を迎えた頃に1〜2年間話をしなかった。
・羽生結弦…ピョンチャン五輪金メダル。
・伊藤寧々(元乃木坂46)…同じリンクで練習していた。
・山田満知子、樋口美穂子…担当コーチ。
・宇野樹…弟。モデル。通訳として海外遠征に同行。よく一緒にゲームをする。
フィールドホッケー愛知県選抜のキャプテンとして国体に出場。
・本田真凛…交際宣言(=22年)。
■宇野昌磨
□エピソードなど
・衣装の制作費は1着10万円以上。
・小さくなった衣装はおさがりで後輩にあげる。
・両手の握力は小6男子程度。
・練習拠点は中京大リンク。
・トリプルアクセルの習得に5年かかった。
・ジュニアGPファイナル優勝(=14年)。
・世界ジュニア選手権優勝(=15年)。
・GPファイナル3位(=15年)。
シニアデビューシーズンのGPファイナル表彰台は男子シングルス史上初。
・ISU公認大会で4回転フリップを世界初成功(=16年)。
・GPシリーズ第1戦のフリーで3種類の4回転ジャンプを成功(ISU公認大会初=16年)。
・5大会連続300点超え(史上最長=17年)。
・トヨタ自動車所属(=17年6月〜)。
・ピョンチャン五輪の演技終了後の発言:
「他の大会と同じ感覚だった。緊張しなかった」
「(フリーの)冒頭のジャンプを失敗して笑えてきた」
・全日本選手権3連覇(=16年〜18年)。
・右足首捻挫で強行出場した全日本選手権を優勝(=18年)。
陸上でのウォーミングアップ中に捻挫、一時は歩けない状態だったが、
治療を受ける中で選手生命に関わる故障ではないと判断して強行出場。
足首の負担を考慮してスニーカーで表彰式に登場。
・FSでシーズン世界最高得点197.36で4大陸選手権優勝(=19年2月)。
SP4位からの逆転勝利。
フリーの演技終了後にしばらくリンク上に倒れ込んだ。
・現役引退会見(=24.05.14)。
主要参考媒体
日刊スポーツ 18年2月10日号,18年12月25日号
宇野昌磨 1997.12.17 フィギュアスケート選手
宇野昌磨 1997.12.17 愛知県名古屋市
宇野昌磨 1997.12.17 ピョンチャン五輪銀メダル
宇野昌磨 1997.12.17 スイス在住