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フジコ・ヘミング

■フジコ・ヘミング

□肩書き
 ピアニスト

□本名
 フジ子・ヘミング

□生年
 1932(昭和07)12.05(射手座)

□没年
2024(令和06)04.21(享年92)

□出身地
 ドイツ ベルリン→東京都

□出身校
 青山学院初等部
 青山学院中等部
 青山学院高等部
 東京芸術大学卒業

□略歴(満年齢)
 61年(29歳)ベルリン国立音楽大学に留学。
 99年(67歳)アルバム「奇蹟のカンパネラ」がヒット。
 01年(69歳)カーネギーホールで初の公演。
 ※主な出演:
  テレビ「人生が変わる1分間の深イイ話」「徹子の部屋」

□趣味
 絵画

■フジ子・ヘミング

□幼少時代〜
・父親は建築家・画家のジョスタ・ゲオルギ・ヘミング(ロシア系スウェーデン人)。
 ディートリッヒ主演の映画「上海特急」のポスターを描いた。
・母親はピアニストの大月投網子(日本人)。
・母親の留学先で両親が知り合った。
・3歳年下の弟がいる。
・5才の時、ナチスの迫害を逃れる為に両親と一緒に日本に帰国。
・6歳の時、母親を先生にピアノをはじめた。
・父親は他の女性と駆け落ちして母親と子供を日本に置いてスウェーデンに帰国。
・小3の時、NHKラジオでピアノを演奏して「天才少女」と評判になった。
・戦時中、混血児の子供を持つ人物として母親が特高警察にマークされた。
・戦時中、母方の祖父の出身地の岡山に疎開。
・高2の時、中耳炎をこじらせて右耳の聴力を失った。

□私生活
・好きな酒は白ワイン。
・39歳の時に風邪薬の副作用で左耳の聴覚を失った(その後の治療である程度回復)。
・動物、草花、綺麗なガラス製品、アクセサリーが好き。
・ペット…猫25匹(=18.06現在)。
・東京、京都、アメリカ(サンタモニカ)、フランス(パリ)に家がある(=18.06現在)。
・猫が大好き。
 ツアー先で野良猫を見つけるとコンビニで猫缶を買って与える。
・母親が残した下北沢の家をめぐって弟と裁判で1年半の争って和解。
 ※2階3階をフジ子、1階を弟が相続

■フジ子・ヘミング

□人間関係
・パウル・バドゥーラ・スコダ…師匠。
 ベルリン国立音楽大学卒業後にオーストリア・ウィーンに移住して師事。
・菅野美穂…ドラマ「フジ子 ヘミングの軌跡」に主演。
・大月ウルフ…弟。舞台俳優。

□エピソードなど
・NHKコンクール2位(=54年)。
・文化放送音楽賞を受賞(=54年)。
・24歳の時、日本フィルハーモニーと共演。 
・29歳の時にベルリン国立音楽大学に留学。
 ドイツ大使のアドバイスで赤十字のドイツ難民としてドイツに渡った。
 スウェーデン国籍が消滅していたので通常のパスポートは取れなかった。
・ベルリン留学中、他の日本人留学生から根も葉もない噂を立てられた。
 ※「男関係が派手」「フジ子は朝鮮人」など
・39歳の時、世界的に有名な指揮者レナード・バーンスタインに手紙を渡して売り込み、
・ストックホルムの音楽学校で勉強を続けた。
・71年にスウェーデン国籍を取得。
・教師の資格を取ってヨーロッパ各地の音楽学校で教えた。
・ヨーロッパ滞在中、貧乏のどん底だった時期もあったが、
 ピアノを辞めようと思った事は一度もなかった。
・72年に一時期国してNHKに売り込んだ時は門前払いだった。
・ドラマ「フジコ あるピアニストの軌跡」オンエアをきっかけにブレイク(=99年)。
 オンエア後にNHKに問い合わせが殺到、コンサートチケットは全て完売。
・パバロッティなどを抱えるクラシックの名門レーベル「デッカ」と契約(=02年)。
・マネージャーをつけずに自分で仕事を取捨選択する(=02.12現在)。
・ツアーで地方に行くと公演前に会場周辺を散歩する。
・絶妙なルバート(自由にテンポを加減してする演奏)に定評がある。
・コンサートのプログラムやCDのライナーノーツに自分で描いた絵を掲載。
・休日に4時間以上ピアノを練習する(=16年現在)。
・年間約50本コンサートを行う(=16年現在)。


主要参考媒体
週刊文春 00年9月21日号
メイプル 02年1月号
AERA 02年12月23日号

フジコ・ヘミング 1932.12.05 - 2024.04.21(享年92) ピアニスト
フジコ・ヘミング 1932.12.05 スウェーデン国籍を取得


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